研修医や大学院生をずっと教育してきた中で、チャンスというものについてよく考えます。
僕のイメージでは、チャンスというのはスポットライトを浴びる瞬間のことです。
その短い時間にどれだけのパフォーマンスを発揮できるか、その結果がとても大事。
チャンスが巡ってきた時に良いアピールが出来れば、きっとそれは成功ですし、スポットライトを浴びても輝けなければ次のチャンスが来るまで待つしかない。
チャンスで成功しても失敗しても、そこでの経験はきっと自分の力になると信じてます。
だから、教育する人間としては(少なくとも僕は)、学生さんや研修医にいろんなチャンスを用意してきました。
チャンスというのは時間軸では点に近いものだけれども、教育というのは線です。
長い線の途中にチャンスがあって、僕らはその経験からの成長を期待します。
チャンスというのは万人に与えられるものではなくて、だいたいの場合、主役に与えられるものです。
脇役にもチャンスはやってきますが、チャンスがやってきた瞬間、それはほぼ主役。
チャンスをものに出来れば、そのまま主役でいられることも多いでしょう。
組織のなかで、主役というのは限られた人だけが担当できるものです。
役割分担がはっきりしていれば全員が主役になれますが、そんな上手に動いてる組織は少ない。
そのプロジェクト(役割)には、誰か主役がいて、そして必ず脇役がいる。
誰かにチャンスを与えることは、他の誰かを脇役に置くこととしばしば同じです。
少なくとも、チャンスを与えられていない人もいて、その期間脇役でいる人のことを考えるのが大事な教育でありマネジメントなんじゃないかなと思います。
チャンスを与え失敗した主人公を、主人公のままにおいておけば、いずれ彼らは成長します。
失敗を乗り越えて成長した彼らを見て、教育した僕らは成功体験を得るかもしれません。
ただ、誰かを辛抱強く主人公に据えることで、チャンスをずっともらえずにいる人の存在を忘れちゃいけない。
脇役のままでいることで、その組織に嫌気が差して辞めてしまう人が出ないように、教育する立場にある僕らは気をつけないといけないな。
サッカーワールドカップでベンチに座っている選手たちを見て、そんなことを思いました。